その夢の意味は
私は未だ、メンタル(日本メンタルヘルス協会)での「夢分析」の講座は受けていません。ですので、今までの学びと、主観と個人的考察にて、この文章を綴ります。
この半年間位、夢で見たことが顕在意識に残ることがありました。最初にお伝えしますが、私は宗教家でも、スピリチャルを学んでいる人間ではありません。ただ、眠っている時の夢、浅い眠りなのでしょうが、怖い夢から現実の自分の不具合に気づいたり、無意識にある本心が浮き上がったりということがありました。
今までは、夢の中から、自分のダメなところ、気づいてないところを考察し、自分の行動や思考に変化を加えてきました。
少し、最近の夢は変わってきたことを記します。
以前は、別れた元妻との会話や、愛猫が足元で眠っているような夢がよくあり、後悔や寂しさで目が覚めることがあり、その後にメンタルをどん底にするようなことがありました。
ここ数日、同じような夢を続けて見ることが多くなりました。元妻とは良好な関係で、幸せを感じたり。愛猫の頭を撫でていたり。
以前と違うことは、後悔や寂しさではなく、優しい気持ちで目覚めることができるようになったことです。優しい夢が上に、二度寝したりもしますが。起きた時に、優しさを感じることができるようになってきました。
心理学者のフロイト博士は、無意識は「優しいゴミ箱」と言っていたことを教わりました。生きていく上で顕在意識にある辛いことは、無意識の中に移動させていく力が人間にはあるといいます。
私は幸せな思い出が、無意識の中にしまい込まれている、そう思っています。幸せな思い出をどう受け取るか。寂しさや、後悔で受け取るか。焦点を変えると、おそらく元気で二人とも(猫も含めますが)生きている。大変な思いがあるかもしれないけれども、生きている。そのことを、感じれ、祈れることしか私にはできませんが、それだけで私の気持ちは幸せです。寂しくなることも、後悔することも、もうなく、幸せを祈ることだけですが、それで私も幸せです。
んっ、なんか、自己満足のような表現になってしまいましたが、今の私はそれで良いと感じています。
心理学者のカール・ロジャーズ博士の言葉を引用させて頂くと、
「I love you , because you are you」
そんな思いに、なり始めたのかもしれません。どこかで元気に、幸せにしていると思えばこそ、私も幸せを感じることができる。あなたはあなたらしく、私は私らしく生きているからこそ、思える愛情もあるのではないか。
そんな生き方も、ありではないかな。そう思います。
お読み頂き、ありがとうございます。