道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

本当はね、もう少し後で書きたいと思ってたけど

鬱症状、そのプロセスも大事かな、なんて思い

 

 「あなた鬱病です」なんて言われてから、もうすぐ1年が経過します。主治医も途中で替えて、約半年、復職を視野にしていきましょう、などと言われて、3月を過ごし、4月以降の動きは会社の判断に委ねる時期になってきました。

 

 だから、今だから、伝えられることってあるのかな、そう思い文字を綴ります。今現在苦しんでいる方や、その傍で支えていらっしゃる方に、発信できれば幸いかななどと、所感で綴って行きたいと思います。この病気は、人によって、多分苦しみ方の捉え方が違うから、そう思っています。

 

 

 私は昨年5月から休職、正確に会社に届けたのは6月からですが。正直、月日はあまり問題でなく、その時その時の心情が変わる病気でした。過去形にするのはまだ早いかもしれませんが、一言で言うと、大脳新皮質、簡単に言うと理性が弱っている病気だと思います。なので、ひどい時の特徴としては、自分の主張が表に出てきやすかった、そう感じてます。

 

 自分がこれだけ頑張ったのに、外からは認められない。自分はこれだけの大変な経験をした。私の場合、家族との時間が取れず、会社のせいにしながらも、自分が悪いと、飲酒に逃げて、気がついた時は家族を失い、失った人間関係を埋める為に、外部に、他人に頼り、救われながらも迷惑を掛け、結局凹み、その繰り返しをして来ました。ね、阿呆でしょう。

 

 

 色々とその期間、新しいことや、必要な勉強を自分に課すことで、なんとか他人に感謝することを覚えました。孤独という毎日は、自分から笑顔で挨拶すること、そんな小さなことでも、現実の変化に救われてきました。

 

 そして、鬱病が治ってきているのかな、なんて瞬間が訪れました。他人のことを、相手の立場になって考えることができる。自分のことも、客観的に考えることができる。このプロセスが、過程が今に残っています。というか、続いています。

 

 

 コロナと違い、高熱や味覚の変化のように、症状で分かりやすい変化はない病気です。ただ、罹患している人は、他の人には理解しにくい苦しみと闘っている、そう思います。

 

 

 「苦」は草冠に古いと書きます。「薬」は草冠に楽と書きます。「苦」は草冠が外れれば、「古」、過去の古い記憶になって無意識の中に仕舞い込まれます。「薬」はその為に必要な、草冠を失くす作業かと、私は思います。

 

 

 人間生きていて、「苦しかった思い出」は無意識に仕舞うことができる、そう今は思います。私も、主治医を疑った時期もあります。薬漬けにさせやがってと。ただ、転院して、なんだかんだで薬を飲み続け、見失っていた理性や生活を取り戻した経験もあります。

 

 今苦しんでいる方は、薬を信じて欲しいかなと思います。そして、苦しんでいる方の身近な人は、苦しんでいるのだな、と思って頂ければ幸いです。私の様に、一人で苦しみ続けることは、結構辛いので。それだけでも、共感頂ければ良いのかな、と思います。ありきたりですが、大切な日を大切に思ってもらえれば。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。

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