見えている方がよいのかもしれません
先日心理カウンセラーとして独立して、数日が経過しました。この期間は、今までの勉強の中から学んできたことを主軸に活動してきました。独立と言っても、まだ駆け出し中の身。すべてがトライアンドエラー、PDCAの繰り返しです。むしろトライの連続でエラーを味わえない毎日を、不安にすら感じています。
ビジネスモデルの模索と共に、新しい要素を含もうと思い、本日からコーチングの勉強をしようと動き出しました。
素直な感想としては、カウンセリングもコーチングもメンタルという領域の中にあてはめると、同じ領域なのかと感じました。学びが少ない分、理解に自信は持てませんが。誰かの心の役に立とうという思いや感情は、同じかもしれません。今を苦しんでいる人の為、未来に向かって苦しんでいる人の為。手法は違えど、相手の心に寄り添うということは、共通しているのでしょう。そう思いました。
現代は様々な方法で、情報を得られる世の中だそうです。私もそう思います。だからこそ、自分を大事にすること、人として人を大事にすることの価値が高まっているのかな、そう感じます。
けれども、私が学生の頃は心理学という学問は異例だったと思います。
就職する為に、終身雇用が崩れ始めている時代に対応する為に、経済的な安定ということに価値が求められている時代でした。就職氷河期なんて言葉も、メディアではたくさん報じられていました。みんなこぞって、就職に有利な学問の道に進んでいた時代です。私のように、就職に有利と思って学問を選び失敗した方もいらっしゃるかもしれません。それはそれで、今となっては良い思い出になっていれば幸いです。
さて、心理学とは、当時の日本の宗教観の中で、同列に認知されていたかもしれません。宗教的な社会問題が多かった時代ですから。
時代は経過しました。昭和から平成、令和へと。人生の先輩にはその前の時代を駆け抜けてきた方もいらっしゃるかもしれません。
何が言いたいのか。今まで培ってきた知識や常識、技術や考え方が変換している時代かと感じるのです。今までこの方法でやってきたから大丈夫だろう。このやり方が最善だろう。信じ込まれてきた価値観は、疑ってみてもよい時期なのだろうかと。それは大人の責任、私もそうなのよ。
価値観を押し付けてきたから。全ての人ではないと思う。自分の過去を思えば、そんな場面も少なからずともあったかなって。変化をしてこなかったことに、今さらながら申し訳なさを感じる時がある。
あなたの人生は、あなたのもの。あなたのストーリーは否定されないもの。
だから、小さな一歩でも歩んで欲しい。素敵な世界が待っているから。こんな生き辛い世界にしちゃってごめんね、と若い人達に告げたい。謝りたい。私が今まで生きてきた、この日本は便利さよりも、心が豊かだったり、繋がりの有難さがある日本だった気がする。いつからか法律で縛られてきたのは、私たちの世代がやんちゃしてしまったのかな、と反省する。いつの日か、心豊かな日本に戻したい。
様々な情報が飛び交っています。情報を取得する術も、簡単になってきました。だからこそ、物事を疑って多角的に捉える人が増えてほしいと願っています。いつかは私も、こんな世の中から居なくなるのでしょう。いつかはわかりませんが。それでも、こんなちょびっとの想いでも、伝わるとよいな、そう思い本日は文章を綴りました。
なんてね。
お読み頂き、ありがとうございます。