道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

思い返せば

苦手だったけど、気の合う先輩

 

 生きていると不思議なもので、普段のコミュニケーションは苦手だけど、趣味があったり、何かしらのタイミングで助けてくれる、そんな存在がいないいでしょうか。

 

 私にとっては学生時代の部活の先輩が、その一人でした。今でいうところの冷笑的というか、正論を持った皮肉屋といった感じの人でした。決して毎日飲んだり飯食いに行ったりする対人関係ではなく、ポイントごとに関わる、そんな先輩でした。それ以外は自分からも飯の誘いはしずらいし、しなかった。先輩からも誘われることはなかった。

今になって思い起こすと、ちょうど良い距離感の先輩だったと思います。

 

 

 先輩からは技術面でも考え方でも教わることも多かったし、心の奥底で尊敬している、他人からは器用貧乏と言われても、我の強いその人の性格は、後輩としては憧れの存在だったと思います。

 

 数年前、そんな先輩が年若くして、あちらの世界に召されました。苦しい闘病を見守った、奥様やお子様の気持ちを考えるといたたまれません。

 

 人生が修業の場とするならば、先輩はたくさんの苦行を今までされてきて、もう苦しむ必要がないから、充分徳を得て、自分になれたから召されたのだ、そう考えないことには、残った人たちは報われないと思います。人望のある、生き様がかっこいい先輩でした。

 今でも、空の上で皮肉めいた笑顔をしながら、嫌味を言ってくれているような、そんな気がしています。

 

 

 ストーリーの中では、まだ私の心の中で先輩は生きている。人間にはストーリーを残すといった、素敵な力がある。

 

 

 だからこそ、修業が足りない私は、今を大事に生きていくことを大切に思います。どんな環境の方でも、どんなにどん底な気持ちでも、自分の手は自分に従ってくれますし、自分の足は望む場所に連れてってくれます。自分を見つける心の旅は、自分の中にある自分を見つけること、生きることに課せられた宿題は人によって違う。

 

 毎日を大事に、丁寧にいきること。そんなことを、思い返した朝でした。

 

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