大丈夫。人間、孤独は当たり前
眠っている時見た夢に、目覚めて、起きてから強烈に凹まされるという、なかなかない経験をしました。
夢の内容:実在するプロレスラーと友人設定で、劇場に足を運び演劇とも音楽ライブとも言えないショーを見て、蕎麦屋で飯食って、はしごで牛丼屋で飯食って、道場に行ったらベテランの人がいて、昔なんか来たことあるって思って。自分以外の登場人物は二人だが、フレンドリーな会話で、夢だけど体感半日みたいな。あと何故か、友人宅に泊まる設定になり実家に電話してたり。「俺、今日現実より夢の中の方が、人との会話時間長くない?」そう思った所で、目覚め。
「こんちは~」「407番を」「はい」「大丈夫です」「どうも~」
この五つの言葉、昨日自分が発した言葉の全て。近所のコンビニでのタバコの購入時のやりとりです。起きた直後、流石に、凹んだ。夢の中の自分から、ネガティブ発信されるとは、思いもよりませんでした。しかも朝一で。
自分のモチベーションを整える為、午前中はひたすら散歩してました。
その時に思い出した言葉が、父親から先月聞いた「人生は修業、苦しいのが当たり前」という言葉でした。そこから紐づいて、心理学の講師からも「孤独が当たり前。人間、最後は孤独」と教わっていたのに、凹んでしまい情けない、その思考へ辿り着きました。また、両親に感謝する気持ちが湧いてきました。
気づいたことは、
「人生は修業だから苦しいのが当たり前のことで、孤独でいることが当たり前なのだから、自分の外の会話相手が居なければ、心の内の自分が居る。外に出て、花を愛でることも、太陽を感じることも、体が連れて行ってくれるだけでも充分幸せ。
外で求めるならば、この街で知っている人を増やして行こう。笑顔で挨拶して、不自然ではない人から、少しずつ。もし、思い通りにならなくても、それが当たり前」
もう凹んでも、ただでは起きない。そんな日でした。
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