ひょっとしたら一歩近づいたかもしれない
私はこの半年も、10年前も一度、子供の頃の体験や親との関わり方で生じる考え方の癖(インナーチャイルド)を見つめなおしてます。「母から心配をされることが嫌、だから心配されないよう生きる」と考えてきました。表面的な考えで止まっていたと、心理学を繰り返し学び、今日気づきました。
前談ですが、心理学者のフロイトは人間の意識を氷山に例えました。海の上に見えている一角が意識、海の下で見えてないものが無意識。意識は全体の5~10%。無意識は全体の90~95%。普段意識していることは、ほんのわずかです。無意識からの考え方や行動が私達人間にはあります。無意識は繰り返し意識していることや、一発の大きな影響によってしか変えられないと学びました。
無意識の考え方の癖は、幼い頃に影響を受けることが多いです。繰り返されている意識や言葉。考え方の癖が自分にとって望ましくない場合、それを見つめなおし直視することも大切です。理由は意識できない無意識の中に、意識してたら辛い考え方や出来事が置かれていることが在るからです。
最初に書いた通り、私は母から心配をされることが嫌でした。父には嫌という感情はない、とそう思ってました。だから「心配されない自分」を子供の頃から意識してたのだと思ってました。子供の頃から自分を演じている自分を知っているから、考え方の癖は変えられると思ってました。
実際は変えられているように見せようとして、変えられてない。
気づけてないこと、間違っていること、不足している何かがあるのでは?
意識と無意識を勉強していて、一つのことを思い出しました。小学生の頃、毎日仕事が忙しい父は私に言いました。「男は10才(不確かです)過ぎたら一人前の男だ。自分が仕事でいない時は、家や母を守って欲しい」。当時の父は会社の経営もあり、経済的には余裕はないが、子供の自分にはそれを見せない、家庭にも持ち込まない人でした。なので嫌という感情は意識にはなく、「家や母を守る自分」を無意識の中にしまい込んでいたと思いました。
今だからわかります。父も「心配されたくない人」だったと思います。会社を家族を支える為に精一杯だったから、子供に「自立」を求めたのだと思います。「自立した自分」という役、「心配されたくない自分」という役。二つの役を演じて、仮面をつけていたのだと思います。「自立」の反対にある感情は「甘え」です。
大人になって「甘えたい自分」と「心配されたい自分」が無意識の中から出てきて、自分も他人も不幸にしてしまう。わがままな子供のままの、母子一体感のまま。現実が思うようにならないと幸せを感じられない。だから、大人になって満たされない自分を自分の外の何かに求め、依存する。母からの影響という片面のみを見ていたので、自分に都合の良い、こう見てもらいたい自分になっていたのでは、と思います。
大人になって自立するとは。自分は自分、他人は他人。どんなに親しい人間でも、自分と同じ人間は一人もいない、だから思うように、期待通りにならないのは、当たり前。それが離別感を持つということ。当たり前と意識していれば、だめだった時の怒りや寂しさも生まれない。または、ダメージが少ない。
だから、本当に自分を癒すことができるのは自分だけ、変えられるのも自分だけ。
無意識の中にある、子供の自分を見つけられたのではないかと感じてます。無意識の大きさを考えると、まだ表面的かもしれませんが。ほんの少しは、「自分の人生の宿題」が見えてきた、一歩でも近づけた気がします。
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