道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

「道助の自分セラピー」

何故タイトルをブログ名にしたかというと

 

 ブログの在り方について見つめなおす為です。

 昨日は、どうにも書きたい事や、文章や文字が生まれてこなかった、という経験をしました。いつもなら泉の如く湧き上がってきた文字も、まるで枯渇してしまったかのように、辞書すら引く気にもなれず、お茶を濁すような記事しか綴れない、そんな状態でした。

 

 本を読む気持ちにもなれず、ぼんやりとYouTubeを流していた時に、小林正観さんの「神様に愛される法則 試聴版」というCDブックをまとめたチャンネルがありました。

 内容を簡易的に解釈すると、

 

 

人は一人のままでは人、人間は人との関わりを持つから人間。人にはそれぞれ役割があり、役割を通して人の役に立てるから人間になれる。歌を歌い癒す役割の人もいれば、掃除をして綺麗な環境を作る役割の人もいる。元メジャーリーガーのゴジラ松井こと松井秀喜選手が高校球児だった頃、五打席連続敬遠球をされ、結果チームが負けた時のインタビューで、何一つ文句も言わず、相手のチームの戦略だからと、勝ち負けに苦言するでなく、爽やかさを残すコメントをした。高校球児という役割を果たした結果、松井選手はその後の活躍をプレゼントされた。人は人のままでいる人もいれば、人間として役割をまっとうできるラッキーな人間もいる。

 

 

 記憶のままに記したので、言葉は多少の誤差はありますが。

 

 

 先だって、「はてなブログから学んだこと」という記事にも書きましたが、このブログという世界には様々な役割を持つ人がいるのだなあ、そう思っています。自分の知らない知識や業界、自分のできないアートの世界、個性のあるテンポのよい日常や所感を綴る方。すべてのブログを拝読しきれてはいないのですが、それぞれのブログの、ブログの書き手さんが、役割を持って取り組まれているのかと思うと、はて、私はどうなのかしら、と思ったりしました。

 

 

 先日、とある会合に参加した時、人生で二度目になる言葉を頂きました。「道助さんは〇〇(グループ名)の良心だよ。」と。内容は省きますが、20年前もグループは違うものの、同じ言葉を貰った記憶が残ってます。

 自分の他人から映る生き様は「良心」なのかな、そう感じました。だとしたら、役割としては「他人に優しさや癒しを、見返りや打算なく、お裾分けすること」かな、そう思いました。亡き師から30年程前に貰った言葉で「袖振り合うも他生の縁」という言葉が、今に繋がっているのかな、などと感じています。

 

 

 では、私がこのブログを通して何を役割として、発信することが良いのか。こう問うて、考えた今の答えは、ブログ名に恥じないよう、良心を活用し、優しさや癒しの効果が出せるよう、自分の文字を起こしていくことかな、そう感じて、初心に立ち返り思った次第です。

 

 時に、支離滅裂な自己満足のような記事も書くかと思います。その時は、自分に優しさが必要なタイミングなのだな、と。温かい目と、阿呆を見る目で、見て頂けたら幸いです。

 

 不特定多数の、匿名性のあるこの世界だからこそ、綴る言葉に良心を投影し、何かしら読み手様の癒しになれば、その気持ちで記事を書いていこう、そう思った日でした。

 

 お読み頂き、ありがとうございます。

 

 

 

 

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