「~すべき、~せねばならないの先入観」
年が明けました。そして、なんとなく一息つきました。そんな雰囲気になってきました。街ゆく人達も少しずつ、落ち着いてきた感がします。皆さまにとって、良い年明けでありますよう。
タイトルは、そんなことと真逆に捉えられそうに記載してしまいましたが。否定をする記事ではないので、ご容赦下さい。個人的な先入観です。
私も実はそうですが、周りの人にもいます。日本人としてどう思われるかはありますが、無宗派です。宗教もそうですが、日本国としての神道も無信です。非国民とは思われたくないのですが。天皇陛下の優しい笑顔は尊敬しています。ただ、なにかに拠り所を持ち信仰することを、上手くできません。救われている方が多数いらっしゃるのは、わかっているつもりですが。
そんなことを書きながら、新年に赤い実の成る植物をめでたく思ったり、お榊をありがたく思ったりしている、矛盾した自分もおりますが。
何が言いたいかというと、「~すべき」「~せねばならない」という価値観だけではないということを、訴えたかったのです。
日本人は上記の考え方がどうしても強くなります。幼いころから、教育を受けてきた環境も要因だと思います。私も、多分に漏れずそうでした。拒否しているわけではなく、絶対にそうでないといけない、という考え方が年を重ねるにつれてなくなってきました。
「日本人だから~せねば」「大人だから、社会人だから」「子供だから、学生だから」「親だから、幼子だから」「人間だから、地球人だから」みたいな。
絶対と思わない理由は、信仰する時に、例えば初詣に参拝する時に何かご利益がリターンで返ってくるような気がしてしまうからです。リターンをものすごく期待しているわけではないのですが。見返りを望まない、一方通行で、祈りを誰かに向けて、何もない日常に捧げている方が安心してしまいます。
むしろ、「災い転じて福となす」であればと思います。どんなトラブルも、幸せになる種だったりヒントだったりすると感じます。
心理学で学んだことで、本当のポジティブは「落ち込むを楽しむ」とありました。怒りは第二感情で、第一感情は期待とも教わりました。
期待そこそこで、災いや落ち込みを楽しめる。極論、今はネガティブ要素がブログのネタになれば良いかな、そう思えるよう暮らしていけたらと思います。
お読み頂き、ありがとうございます。