あたくし達は人間って存在なのでございます。
11月夏日がまだまだ続いてございます。お初の御仁、ご無沙汰の御仁、なんて皆様の前で。道助の常軌と狂気の間の存在の、裏道助と申します。たまに顔を出しますので、お初の皆さまには、以後お見知りおきを。
狂気なんて言葉を出すものですから、何かと印象が悪くていけねえ、なんて。真っ当な言葉でお伝えしますとね、理性と本能の間。西洋の言葉をお借りするとアクティブとリラックスの間、なんてね。ちょっとハイカラに言ってしまいましたがね。お釈迦様に例えるならば、半眼の状態、なんて偉そうなことは言えないのですがね。まあ、道助の理性に程よく許可されてる状態ってのが、あたくしの存在のようで。長くなりすぎたので、自己紹介はこんな感じで。
さて、人間って文字の通り、人と人の間で生きる存在と申します。要は、人は誰かと一緒に生きているのよってことでございます。いやさ、あたくしは一人でも生きていけます、なんてお方もいらっしゃいます。さてはて、それはどうでしょうかねえ。住まわれてる家は、身につけている衣類は、今日飲んだ水は、今食べているお米は、あなた様が作られたものでございますかね。
あたくしが子どもの頃なんざ、茶碗に米粒一つでも残したもんなら罰があたる。お百姓様に感謝の気持ちが足らぬ、なんてよくあった話で。人は一人では生きていけないって話でございます。
もうひとつ、人間の間っていう文字ですがね。間ってね、日々の誰か様とのお付き合いの中で出てくるものでございます。距離の間、時間の間、会話の間なんて。本日は会話の間って話題で。
あたくしは道助のように論理的なことは苦手なもので。はて、どうしましょなんて思っていたところ、例え話にしちゃいましょ、などと思ったわけでございます。
落語の世界では、横町のご隠居や女将さんなんて登場人物がでてまいります。そんなところに、場面をお借りしようかな、なんて。そんなこんなで、噺の幕を開けていこうかな、と。
「ちょっとおまえさん、少しあたしの話を聴いてくださいな」
「・・・おう、どうした?」
「三丁目のあの奥さんがね、私にもっと痩せたらって言うんのよ」
「へえ・・・」
「それでね、自分は半年前からこんなに痩せたんだって自慢してくるのよ」
「ほおほお、たった半年で。そいつはすごいもんだね」
「あたしだってね、痩せられたらいいなあって思いはありますがね」
「ほお、おめえも痩せたら嬉しいのかい?」
「そりゃあね、あたしだって。ただ、痩せられないからくやしくて、くやしくて」
「そうかい、くやしかったのかい。じゃあ、どうしたいんだい?」
「あの奥さんの鼻をあかすよう、痩せてやるわよって思ってるんだけどね」
「おう、痩せようってわけかい?」
「どうしたらよいのか。ご近所のたみちゃんからは歩くといいよって聞いたけど」
「ほう、歩くのがよいのかね。おめえどう思うよ?」
「そうねえ、だまされたと思って試した方がよいかなって思ってるんだけどね」
「そりゃたいしたもんだ。思えるだけ立派。とりあえずやってみたらどうだい?」
「そうねえ、おまえさんがそう言うならとりあえずやってみようかね」
なんて、べたな能動的傾聴法の例えになっちまいましたがね。聴くという間が要るのよってことをね、伝えたかったわけでございます。最初にご隠居が話をズバッと叩き切ったらね、「今忙しいから、後でな」なんて出てたらね、ズバッと人と人の間も叩き切ってしまうのでございます。またはね、女将さんの話にご隠居が自分の意見で返しちゃったらね、これもこれで人と人の間を叩き切るもので。世の男性の皆さま方、男は解決を急ぐ習性があるって、認識されていた方がようござんすよ。
人間っていうことを、考えるそんな一日も。本日は以上を持ちまして、終演とさせて頂きます。こんなくどくどとした長文に、お付き合い頂き感謝しかない状況にて。
お読み頂き、誠にありがとう御座いました。