捉え方なんぞ、人それぞれでございましょう
道助の常軌と狂気の間の存在の、裏道助と申します。たまに顔を出すので、お初の皆さまには、以後お見知りおきを頂ければ。
たまにね、呼ばれるんですよ。あたくしはね。道助がすっ飛んでいる時や、思考が止まっている時になんぞ。今日何故おるかといいますとね、認知の違いというものをお話しようなんて。なぜ、道助じゃないかって。あの方ね、久しぶりに失敗をしてしまったことで、今は作り笑いをすることで忙しいんでございます。
認知とは字のごとく、このことはこうだと認めることでございます。当たり前のように思っていることって日常生活では多くございましょう。
当たり前のご飯、当たり前の会社、当たり前の家族、当たり前のあなた、当たり前に迎える朝、当たり前に歩ける街、当たり前にある明日。なんぞと。
日常でありそうなことと申し上げれば、例えるならば珈琲店などで
「いらっしゃいませ」
「いつものお願いします」
「珈琲を無糖で熱めですね」
「いつもありがとう」
などと。肝は「いつもの」って言葉でございます。
いつもの注文を、いつもの店員が、いつもの客から、いつもの頼み方で、いつものように受けて、いつものように提供する。この流れを成立させるのは、「いつもの」の認知。要は「いつもの」とは何ぞやってことを、認めているんでございます。
さてその「いつもの」
いつもの美容室に行き、いつもの美容師さんに、「いつものように」と注文をした道助。疲れていたこともあったそうで、注文後少し眠ってしまったご様子。目覚めてから談笑しながら髪を切ってもらい、いざ完成。
「いつものようにツーブロックにしておきましたね」
仕事をしっかり仕上げ、満面の笑みの美容師さん。道助にとっては友人のような、弟のような存在だそうで。何も言えなくて、道助微笑む。
人生初の「ツーブロック」
いやはや。狼狽えているのに、冷静に微笑んでいる。いや、滑稽だね。あたくしなんか、大笑いなわけでございますよ。狼狽えたまえ、道助くんよ。あなたの当たり前は、相手の当たり前とは限らないのよ。あなたの「いつもの」と美容師くんの「いつもの」は今日の「いつもの」に完全に合致するとは限らない。学ばれたんではないでしょうかね。いや、愉快。
まあ、一月はツーブロックを楽しもうなんて割り切れてるみたいなんで、もう笑えませんがね。もっと笑わせて欲しいものでございました。せめてあと一日は狼狽えている姿を俯瞰していたいものでございます。
あら、いけない。そろそろ道助が戻ってくるようなので、あたくしはここらで失礼しますね。好き勝手書いたから、何を言われるかわかったもんじゃございませんので。
お読み頂き、ありがとうございます。またの機会に、ご縁がございましたら。