道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

「裏道助の自分セラピー」始めました

第一回 裏道助の自分セラピー

 

 あいや、こんな回を持とうかとは。たまに出てくる、道助の常軌と狂気の間の存在、裏道助でございます。あたくしがセラピー?いやいや戯言でございましょう。なんてったって、とても他人様どころか、自分を癒せる話なんどできやしませんから。それでもやれって。最近の道助は人使いが荒いね、無茶ぶりもいいところでございます。仕方なし、仕方なし。

 

 

 さてはて、ではね。道助と違う視点から癒しってことについて考えてみますかね。癒しってなんでしょね、そう考えた時にパッと出てきたのは、あたくしの場合、嫌なことがあったときの発散方法なんぞかな、と。思う次第でございまして。何か嫌ぁなことが起こりますと、あたくしも人ですからね、嫌ぁな気持ちになるもんです。だいたい、嫌ぁって思ったら、後に残りますからねぇ。さっさと、塵箱へ投げ込みたいのですがね。

 

 まぁ、簡単に掃除が済めば楽なもんで。そんなに簡単に行かないのが、世の性ってもんでして。こんな晴天の日でも街を見渡しゃ、あっちでイライラ、あっちでトホホ、なんて光景もございます。世の御仁も、そんなに不幸な荷物背負ってで歩かれては、生きていくのも大変でございましょう。

 

 

 なので、嫌な気持ちはスカッと投げ捨てた方が良いわけで。十人十色、人それぞれでございますがね。あたくしの場合、あっ、今までの記事のパチンコの話は除きますがね。キネマなんぞ良い癒しで。活劇も嫌いじゃございませんが、人間群像的なね、泣かせられる話の方が好みでございまして。人と人が、何かを成し遂げる為に一生懸命になり、人と人のご縁が、こう、糸を編むように。かぁ、なんて言うんですかねえ、そう、絆。絆が深まっていくような物語が、堪らないのでございます。

 

 他にも鰻や天麩羅や寿司なんか食べれたら、まぁ幸せでございますなぁ。最近では、魚か肉か、なんて問いかけもありますがね、あたくしは魚が好みなので。なかなか食べさせてもらえないんですがねえ、あの野郎ケチだから。嗚呼、こんなこと話していたら、腹の音が鳴り上がってきちまった。おっといけねぇ、話が脱線気味になっちまった。

 

 

 要は何が言いたかったかってことですがね、適度に好きなことして、嫌なことは記憶の奥底に沈ませた方が良いんじゃないですかい、ってことで。まぁ、そんなことばかりしてられないから、簡単じゃないんですがね。たまには良いんじゃねぇですかね、心持ちや御体が癒されるんなら。たまには必要かと思いますがねぇ、日本人ってのは真面目に出来上がっているからねぇ。おっと、酒や博打や煙草は程々に。道助に大目玉喰ってしまうからね。

 

 

 ちなみにね、道助の野郎は、たまぁに、あたくしに話させることで発散してるってご存知でしたかね。ほんとは、ふてぇ野郎なんですよ、あの野郎はね。その割にはね、このお題名。「冷し中華」始めました、みたいな雑な扱いしやがって。どうやら少々、喋り過ぎたようで。第一回は、この辺りでお披楽喜とさせて頂きます。

 

 

 お読み頂き、誠にありがとうございました。またの機会がございましたら、お目にかかるのを楽しみにしております。ではでは。または、あるのかねぇ。