道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

嘘ついたら針千本飲ます

「嘘」という言葉について、個人的な考察

 

 タイトル古いですかね。そんな気がしています。今回の記事は、特に根拠がありません。感じたままに書いてみようかと思います。

 

 

 日本において「嘘」という言葉をどう捉えるか、について考えてみました。一般的には「嘘はいけない」、「なんで嘘をつくのかわからない」なんて考えが普通ではないかな、そう思います。嘘をつかずに人生をまっとうした方には、失礼な考えかもしれませんが。

 

 「嘘」についても種類があるのでないか、と思います。ここからは主観も混じりますので、ご容赦下さい。大きく自分の中で考えると、

・優しい嘘

・騙す嘘

・誤魔化す嘘

に区分できるのかな、などと思ってます。

 

 

 優しい嘘。あなたの心を傷つけたくないから、私は嘘をつく。あなたの気持ちを鑑みるから、私は嘘をつく。あなたの成長を見守りたいから、私は嘘をつく。あなたの幸せを祈り、私は嘘をつく。あなたに幸せになって欲しいから、私は嘘をつく。

 

 騙す嘘。私が儲かりたいから、あなたに嘘をつく。私が優位に立ちたいから、あなたに嘘をつく。私が救われたいから、あなたに嘘をつく。私だけが幸せになりたいから、あなたに嘘をつく。私だけのために、あなたに嘘をつく。

 

 誤魔化す嘘。私は本当はしたくないのだけれど、自分に嘘をつく。私は本当は別の選択肢を正しいと思っているのだけれど、自分に嘘をつく。私の心はこちらの方向が幸せになれると思っているのだけれど、自分に嘘をつく。自分を押し殺して、自分に嘘をつく。

 

 

 色々な瞬間があり、そこに思惑があり、人は嘘をつくのかな、そう思います。

 

 優しい嘘は、見方を変えれば愛情ではないか。良し悪しはあるかもしれないけれど、誰かを思うが為に出てきた感情かと。

 

 騙す嘘は、見方を変えれば防衛本能ではないか。もう悪いということは分かっているのだけれど、そうせざる負えない状況なのかと。無論、楽をしたい気持ちはからの嘘なら、好ましくないし、罰せられる対象になるだろう。けれども、全てを裁いてはいけない気がする。

 

 誤魔化す嘘は、見方を変えれば一番罪深い嘘だと思う。自分を裏切り続ける嘘は、自分をないがしろにする、そう思う。誰かのためになどと正論をかざしても、自分を傷つけ、苦しめ、自分を裏切るように誰かも裏切る。

 

 

 騙す嘘もさることながら、誤魔化す嘘の方がついてはいけない嘘なのではないだろうか、そんなことを考えていました。人生の悩みは宿題です。悩みが起きた時に素直でいられるか、もしくは嘘をつくか。その分岐点が、大事な気がしています。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。