「喫茶去」
先日、日本メンタルヘルス協会の講座で「喫茶去」という言葉を学びました。
「喫茶去(キッサコ)」とは、今日飲めるお茶は今日のお茶で、明日も飲めるとは限らない。今日の当たり前のことが、明日も当たり前のこととは限らない。だから、今日のお茶を味わうことに集中するという、禅の教えです。
さて、実はここ2週間程、メンタルが少し低迷してました。体調の崩れもあったのですが、気持ちがどうにも揺らいでいる。理由も分らず、もやもやした状態が続いてました。
この一年、こういうタイミングは、実は眠っている夢の中にヒントが多いことを思い出し、考えてみました。無意識の中に、自分を深堀りするヒントが隠れていることが、多々あったからです。
今回は夢と「喫茶去」で、自分の心理を読み解いていこうと思います。
両親とのインナーチャイルドのこと、過去にお世話になった恩師や恩人への感謝のこと、この1年は自己の深堀の作業で、離別感、あなたはあなた、私は私を身につける為の修業のような年でした。
自分の変化に気づきながらも、ようやく此処まで来て、今、復職に向けて動き出した、このタイミングでもやもや感。やはり、別れた家族のことを、無理やり忘れようとしていたことが、このもやもや感にあるのでは。
夢では、浅い夢を見ている時に、別れた妻に声をかけられ、一人暮らしをしていることを忘れていることが、しばしば。声は鮮明に思い出し、ただただ普通の会話。明け方になってくると、猫が足元に来て、お尻を向けて眠っている。
当時の私は、この当たり前の日々が、続くのだとうと思ってました。自分勝手ですね。どれだけ苦労して、当たり前のような美味しいごはん、当たり前のようなリビングでの一時、当たり前のような生活に感謝ができていませんでした。むしろ、当たり前と思えば思う程、感謝はできず、離別感もなく、相手のことを尊重できず、相手に対して自分の幸せを満たして貰おうとしていました。今は思います。
そして先日何かで観たのですが、猫がお尻を向けている時は、飼い主を敵から守ろうという姿勢なのだとか。よっぽど弱かったんですね、当時の私。
喫茶去、今日の当たり前は、明日の当たり前ではない。味わい尽くすことは、相手に対して感謝できることを、どれだけ見つけ感謝できたか、そういうことではないか、そう感じました。自分も相手も、幸せでありますよう。今日の自分が、幸せであれるよう、そう毎日を送りたいと、感じた一日でした。
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