「自由と蜘蛛」
自由って、繋がりがあるから感じられる言葉かもしれない、とぼんやり思いました。辞書やインターネットでは、妨害などを受けずに意のままに振る舞うことができること、などなどありました。
環境などで、様々な境遇もあるので、一概には言えないのですが。フォーマルでもプライベートでも、誰か一人以上の自分以外の他人といることが、必要なことだと、つくづく感じてきました。誰かの役に立つことで、収入を得て、生活をしていく。当たり前のように感じていたことが、当たり前でなくなった時。他者との繋がりが日常から少なくなった時に、自分が役に立てない時、でも時間は有り余ってしまう時。
自由は相手の、他者の役に立ちたいと、自らが考え動ける状況や環境があって成り立つのではなかろうか、などと。行動の先には利他がある。極論、自分一人での自由は、自由なのだろうか、なんて感じました。そんな考えから、ここのところ孤独感でもやもやしてました。
ここ数日間、一匹の小さな蜘蛛が、私の部屋に迷い込んできてました。普段なら、こんな生活感のない部屋だと、飢えて弱って行くだろうと外へ帰しているのですが、今回は放置してました。芥川龍之介氏の「蜘蛛の糸」を思い描いていたのかもしれません。
あっちへ飛んだり、歩き回ったり。その蜘蛛が動くことすら、愛おしく思ったり。本日、蜘蛛は窓の方へ歩いていくのを眺めてました。自然と窓へ向かうものですから、本能的に窓を開け、外へ帰って行く様を見続けていました。自然の中で、自由に生きてくれることを願いながら。
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