道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

空気を読む

言いたいけど、言わない方が幸せの時もあるわけで

 

 先日ちょっとした会合があり、それぞれの意見を出し合う場がありました。こういう機会は、私はどちらかというと調整役に身を置く場合が多い気がします。誰かが意見を出し、誰かが反対の意見を出す。自分も流れを感じながら意見を出す。

 

 この自分が意見を出す時が、愉しみどころで、意見をする時に自己主張になってないか、主張だとしても相手の、全体の為に出来ているか。発言前に、シンキングタイムが出てきます。自己主張だと、ぶつかり合いになるんだろうな、などと考え。じゃあ、どうすれば円滑に答えに向かっていくのかな、と全体と自分を観察することが出てきます。

 

 相手のことを考える、全体のことを考える主張、どう作り上げていくかは、やはり場の空気を読みながら本筋をそらさないことが必要だと思います。自己主張で発言すると、話の展開を混乱させてしまったり、全体の総意にそれることもあります。なので、時には流れのままに、あえて主張を引っ込めるなんてこともあると思います。

 

 空気を読んで、あえて言わない、そのことで全体が幸せな方向に進めるならば、それも良しと思います。反面、空気を読まずに発言をしたとしても、それはそれでありかな、と。自分の経験値の糧になったなら良しと思います。

 

 空気を読むこと、読まないことが善悪なのではなく、そのタイミングでどう考え、どう察し、どう発言したかが、経験として大事だと、私は考えています。なぜなら、完璧に空気読むことは無理ですから。そして、どのような経験でも、一歩は自分の中での前進に繋がっていると思います。

 

 ブログという言葉の世界でも、人との繋がりがあるので、文字の中から空気を読むこともあると、そう思います。規約等で制限はあるものの、読んで頂ける方の事も配慮する文字の選択があると思うと同時に、文章の個性を発信されてる方も多く拝読させてもらいましたので、個性も大事と思います。

 

 書きたいと思うけど、書かない方が幸せなのでは、と。そんな思いもあります。

 

 文章を書いてきて3か月、時折、本当に書きたい事は、自分の常軌と狂気のすれすれの間の部分にあるのかな、と感じる時があります。語弊ないよう書きますが、心理学の所感、経験から得た心理セラピーの発信、音楽やプロレスや演劇や映画や読書等の趣味の発信が、メインのブログの考え方です。ただ、感性的なこと、理屈で表現しきれない、例えばノスタルジックな感覚を伝えたい、のような思いも時折あります。

 

 空気を読める文章として、記事にできればなと、四苦八苦し、最近思っています。

 

 お読み頂き、ありがとうございます。

 

 

 

 

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