道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

文字や言葉の力

 何かもやもやする

 今朝のニュースの話です。負の感情を覚える方は、読まないで下さい。元首相と容疑者の報道についての為です。

 

 個人的な感想しか述べられませんが、容疑者に対して、「英雄視?」という言葉を選択したマスメディアに対して、違和感を感じずには入れませんでした。発信するということを少しですが知った私の個人的な見解ですが、倫理観に沿っていないのかなと思いました。こんな記述をする私の倫理観にも問題があるのではないかと思いますが。

 

 英雄だと考える価値観を持つ人もいるのは事実だと思いますし、反論をする人がいるのも事実だと思います。多い少ないは別として。容疑者の家族やそれまでの背景を鑑みて、同情する気持ちはわからなくないです。ただ、起こってしまった過去の事実は美化されるものでしょうか。

 

 自分のご主人、ないし奥さん、ないしお子さん、ないし祖父母や親族、家族のようなワンちゃんやネコちゃん。誰かが狙撃され、残りの時間が奪われた。そんな状況に出会ってしまったとしたら。狙撃した相手を受容できるでしょうか。ましてや英雄扱いと報道されていたらどう感じるでしょうか。

 

 生命は平等だと思います。人も、動物も、植物も。極論、水や空気や地球自体も。

 

 心理学で学んだことです。インディアンは狩りをするには資格がいると学びました。資格とは、弓を上手く引けることではなく、獲物を見定める力があるかです。バッファローの群れを狩る時に、彼らは若いバッファローでなく、年老いて寿命がいくばくもないバッファローを狙います。心の中で、標的と対話しながら。そして、対話が終わった時に、仕留めて狩り、食べ物や衣類に、食べられない骨などはアクセサリーにして、狩ったバッファローに対して感謝と敬意の祈りを捧げる、とありました。

 

 

 恨みや、辛み。色々な苦しさがあったと思います。悔いもあったから、児童養護施設に寄付をされたのだと、メディアの情報での、間接的な情報でしかないのですが、そう信じたいと思います。ただ、被害者の残された家族の思い、生きる為に本当に必要な行為だったのか、感じて欲しいと思います。

 

 報道では心は伝わってきませんでしたが、言葉は多くの人に伝わっていくと思います。プラスにもマイナスにも。

 

 なんか、もやもやして文を連ねてしまいました。気持ちが整理しきれませんが。それぞれ、どちらの立場の方も辛く、苦しい思いをされたのだと思います。ただ私が感じたことは、人間として、本当に大事なことを見直すことが必要な時代ではないのかな、そう感じました。言葉や文字の使い方を改めて意識しようと思いました。

 

 お読み頂き、ありがとうございます。