道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

護美

言葉から想像する人柄

 

 「護美を捨てないで下さい」そんな張り紙が、実家の近所の家に、一か所だけ貼られてました。もう30年以上前のことです。当時小学生だった、私は「護美」という感じに「ごみ」ってフリガナがあったので、へえ、そんな漢字だったんだ、などと、思い出の一つとして記憶してました。

 

 散歩中、ふとそんな記憶が遮り、ごみ置き場近くの張り紙を見つけは眺める、そんな時間がありました。

 

 基本的には「ごみ」ないし「ゴミ」です。「ゴミ」の方が近所では多いように思います。家に帰り辞書を引くと「塵」とかいて「ごみ」、ちり、不要なもの、なんて記述がありました。

 

 さらに気になりネットで検索。どれが正しいのかわからないですが、一番近しいものは、「高野山真言宗やすらか庵」というHPかな、と感じました。なので、以下の記述は私個人の所感になりますが。

 

 「護美」という漢字だけを見ると、「美しさを護る」といった意味合いで、上記HPには「護美箱」といった考え方があり、宗教哲学的な発想もありました。

 ただ、少年だった私には、この張り紙を貼った人から、街をきれいに守りたいといった思いしか感じられませんでした。素直な感想です。

 

 現在散歩していて思うこととしては、たしかに幼少期と比べると街中はきれいになったと思います。あの頃は、ガムの吐き捨てとかが、街道や駅のホームでも普通にあり、踏んでしまって、あちゃ、と縁石に靴を擦り付けたりって経験ないでしょうか。すいません、古い時代の話になりますが。

 謎だったのは、無暗やたらと道端に、BB弾というエアガンの弾丸が落ちていたことです。あんまり興味もなかったのと、学校の友達も、街を歩いててもあまりエアガンで遊ぶ、って子供がなかったので、不思議に思います。

 

 

 今は、街をきれいに守りたいといった価値観になってきたのか、ならざるを得ない時の進み方をしてきたのかはわかりませんが、結果としてはきれいにする精神のようなものが、街に浸透しているのではないかと思います。善悪分けずに、きれいを保つ、そんな日常であると良いかな、と思います。

 

 そう考えると、あの張り紙を貼った人には優しくも、強い思いがあって、行動に移されたのではないかな、っと、今さらながら温かい気持ちを感じます。

 

 お読み頂き、ありがとうございます。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村