成るようにしか成らない
この世に生を受け、生きているということは、成るようにしか成らないように思います。最近ね。どんなに文字を綴ろうとしてもできない時もあれば、あら摩訶不思議と思う位、文字の列が並び行く時もあり。流れに逆行せず、ゆらりゆらりと、身を任せるタイミングもあるのかな、と感じます。
私は、よくこのブログで、完璧にはならないことが当たり前、欠陥があることも良きと書くことがあります。文字って捉え方が色々あるので、どう捉えて頂いてるか、時々不安な私も居ます。欠陥がある=甘えではなく、いついかなる時も苦しい時はあると思います。その中で、やれるべきことをして、よくやったな、なんて思えれば、後は流れに任せ、成るようにしか成らないかな、と考えています。
こんな温かい日に外に出れない時もあれば、春の嵐の日、外に出なければならない時もあるわけで、巡り合わせは、その時次第。
いついかなる時も、成るようにしか成らない。
なので、良い意味である程度、適当な心持も必要かと思います。20年位前に、同期の親友が、尊敬する先輩の卒業の時に、「適当」という言葉を送っていました。良い意味で、「今に適して当たっている」そんな内容だったかなと思います。物忘れは、年輪の証かな、なんて。
成るようにしか成らないのであれば、気持ち一杯、二杯でも幸せな気持ちになれることを見つけて、日々送っていければ、是幸いかな、などと。
お読み頂き、ありがとうございます。