道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

柔らかな夢

特別お題「今だから話せること

 

 今だから話せることと言うと、多少なりとも重たいイメージが先行しますが、その言葉や文字が未来に繋がれば、誰かの心の救いになれば、そんな想いで書かせて頂きます。

 

 ちょうどコロナ渦が始まって、コロナ渦を「コロナウズ」なんて読んでしまっていた頃の話です。日本に住んでいて、いや、もとより日本人なのですが。そう、日本に住んでいて初めての緊急事態宣言というアナウンスを受けた時の頃です。午前10時位になると、街のスピーカーから緊急事態宣言なので外出するな、などといった声が聞こえてきました。まるで、外に出て、人と接触するとコロナに感染しますよ、みたいに感じてました。

 

 初めて隣り合わせになった、「死」という恐怖、リモートワークって仕事自体成り立たなかった自分の仕事、全ては暗示の様に私の頭の中に刻み込められました。マスメディアは日々、この暗示に重しを乗せるかのように、毎日感染者数、死亡者数を報じてました。テレビを見ることそのものが、軋轢を掛けてきている、そんな日常に急激に変化を遂げた、そう思いました。

 

 私は、公共交通機関に頼らざるは得ない仕事。

 

 そんな環境下で、私の気持ちは暗くなっていき、アルコール消毒は手指ではなく、口から取り込むものだ、といった世にも見苦しい方向へ進んで行きました。もちろん、間違いだということは、頭では分かっていても体は醜い自分へと誘導していきます。

 

 全部分かっているのですよ、これは過ちであり、誤りですと。

 

 数年が過ぎて、私はがむしゃらに労働をしていました。ただただ、家族を守ることだけを思い、身を粉にして、ただただ。労働って、一つの中毒だと思いました。自分が正しいと思って働き続けたことは、結果として家庭を壊すことになったからです。ストレスと言われるものは、どこかで発散しなければならなくて、発散方法がアルコールと家族に、いつしか絞られてしまっていたのです。

 

 

 誰も居なくなった家に、一人残された私。心情は表現するまでもありません。玄関を開けた瞬間から重力は倍増し、しばらく笑えない日々が続きました。眠っても、深夜に目が覚めて早朝まで眠れない、そんな日々もありました。ただ、生きていると、思いもしない不思議なこともあるのです。

 

 

 浅い眠りに就いている時に、別れた家族がそこに居て、話かけてくる。私の足には別れた猫がすり寄ってくれている。失われたはずの瞬間が、夢の中で再現してくれている。その時の私には分かっているんです。夢だって。

 

 ご飯とお味噌汁、何気ない朝食。家族と味わっていると、不意に言ってくれるのです。『こんな時間が、本当は幸せだったのだね』と。夢と分かりつつも、目頭は熱くなり、視界がぼやけてきます。嗚呼、幸せな時間をありがとう、と。

 

 

 月日は流れ、今はもう家族の夢を見ることはなくなりました。何気ない日常を、淡々と過ごすようになりました。心の中は透明になってきましたが、あの優しく、柔らかい夢は私の記憶の中に残っています。いつか、その記憶も薄らいでいくのでしょうが、私の人生が終わりを迎える時も、きっと同じ夢を見るのでしょう。笑顔で。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。