道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

「言葉の棚卸し」 第40回目

今まで良い影響を受けた言葉を棚卸ししてみる 40

「実ほど頭を垂れる稲穂かな」

                                  詠人不明

 

 お米の稲の穂は実ほどに穂先が低く下がるもの。人間も同様に本当に偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切であるという訓示。松下幸之助先生も信条とされていたそうです。

 

 私の解釈は少しだけ上記とは異なります。

 

 「人間は偉くなればなるほど」という点。偉いとは何がなのかな、と。偉いって言葉は他者評価、すごいや立派や優れているなど、他者からの称賛。他者評価がないと人は謙虚な姿勢になれないのか、否。謙虚な姿勢で丁寧に人に接するからこそ、他者から評価されるのでは。

 

 お金持ちだから、有名だから、たくさんの人に貢献したから。偉いとはなんなのか、と考えます。

 

 私は「偉い人」ではないと思っているので、こう書きます。「偉い人」とは自分の中の目的を達成、または達成の直前に近づけてきた人なのかと。たくさんの人の助けを借りながら進んで来たからこそ、素直に頭を下がられる。たくさんの人へ分別なく、もらったご助力に感謝ができる人。そんな人だからこそ、他者から見ても「偉い人」と思えるのではないかと。

 

 さて自分は如何なものだろう。感情に左右されることなく感謝できているかな。偏った認知を取り外し、有難いと思えているかな。そんなことを振り返る日でした。

 

 即実行できることは一つだけ。助けてもらった人、関わってもらったひとへ「ありがとう」という言葉を伝えること。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。