道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

本日の道助セラピーの時間です

本日はゲストをお迎えしております

 

道助(以下:道)

 本日は普段と趣旨を変えて、癒しについてコメントを頂こうと思い、ゲストをお呼びしました。私の本音を申し上げますと、なんとなくやってみたかったということです。やりたかったからやったってことは、多分運悪くこの記事を観て頂いた方はドン引きされるかもしれない、そんな覚悟の上です。それでは、お呼び致します、本日のゲストは裏道助さんです。

 

裏道助(以下:裏)

 どうも~、裏道助です。道助の狂気と常軌の間の存在でして。って、おい。ついに気がふれたか。どう考えてもおかしいだろ。自分の脳みそと、同じ脳みそが対話をするなぞ、考えてもみなかったもの。ジキルとハイドが同時に文章を綴るようなもので、想像すればわかるはずでございましょう。おかしいじゃございませんか。

 

 

 申し訳ないですね、なんかやってみたかったんですよ、コラボってものを。よくある、コラボって言葉を使いたかったので。では早速ですが本日のテーマです。「手で文字を書く」ということについて、心の癒しを観点に考えて来ましたので、コメンテーターとしてお願い致します。

 

 いやいやいや、共作ではないでございましょう。あなたと、私。文字を打っている手は一緒な訳で。

 

 

 文字を打つことも、私は良いことだと思っています。自分の心の中に生まれた言葉を、自分の得た知識をアウトプットすることは、自分の力にするための過程だと思います。知識を得たことは、野球の素振りのように繰り返していくことで身についていく、そう思います。ただ、文字を手で書くっていう作業は意外と普段の生活の中から遠のいていたと思いました。

 

 小学校の頃の作文。だいたい決まって、出だしは「今日は」の三文字だった自分。日記もそう。夏休みの日記とか。その時の心理は、宿題を終わらせたい、それだけ。読む人の気持ちなど考えず。だいたいのページは、「今日はプールに行きました」からのスタート。

 

 けれども、大人になって文字を手で書くってことは、とても気持ちが要ることと気づき。手紙なんてめったに書かない。せいぜい手帳にスケジュールを書き込む程度で。手紙をかくということは、心を込めるということ。文字を書くことは、相手への愛を送ること。Imessageは感謝の気持ちを届ける、コミュニケーション。たまには、自分へImessageを手書きで書いてみても。毎日頑張っている自分、朝起きてくれている自分、ねぎらいの言葉があっても良いのでは。

 

 自分を愛しているか、自分を大事にしているか、という問いかけは意外とすぐに答えられないそうです。自分を大事に見つめ直すのもよいのかな、そう思います。

 

 

 あの、わたくし必要でしたかね、いまの件で。意見役って。ぐうの音もでない程、ご主張されてございますがね。客人で呼ばれて出てきて、なんの役にもたっちゃいないんですがね。

 まあ、手書きの良さや百歩譲って認めやしょう。書道にもあるように、日本の文化の一つで、心を静めて筆を落とす。そんな姿勢は好んでおりますから。

 しかしながらね、今日の扱いは雑。いっそのこと、呼んでくれるなってもんです。何がしたかったのか、理解できないね。

 

 

 それでは、本日の道助セラピーは幕を閉じさせて頂きます。皆様、よい一日を。

 

 ちょっ、おい。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。