道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

昨日の所感、というか戯言

ロケットは打ち上げられたのさ

 

 ニュースを見た時に頭の中をよぎった曲。TRICERATOPSの「ロケットに乗って」

 

 少し角度を変えて、ニュースの内容を考えてみた。

 

 メディアはどう伝えるか分からないけど、衛星ロケット飛ばそうと本当にしてたら、責めるべきことではないのではないかな、と感じました。ルール違反は罰せられることだけど。罪は詫びて、償えばよいのでないかな。

 

 罪を憎んで、人憎まず。

 

 児童心理学のカウンセラーさんの話を思い出す。先生や親があの子は問題のある子なのよね、と言う。それは先生や親の問題。だけれど、実際に問題を抱えているのは子供の方。大人から責められて、辛くて苦しくて、誰にも言えずに相談できずにいるから、どうすれば良いのかわからずに、助けを求めて癇癪や暴力をふるう子がいるんですよね、って。そのことを内面に触れずに、一辺倒に問題のある子と片付けてしまうそう。

 

 

 なんで最初に歩み寄らないのか、違和感を感じた。報道されないだけで、歩み寄っているのかもしれないけれど。あいつ、問題児だから俺らでやっつけようぜ、みたいな。いやいや、まずは、それはダメなことだよ、みんなに謝ろうね、謝ったら仲良くしようね。子供に例えるならば、こんな話ではないのかな。違うのかな。ジレンマだ。

 

 

 平成から令和にかけて、日本は善悪をはっきりと別けようとしている気がする。もちろん罪は許されるものではないけれど。私が正義です、みたいな感じになったら、それ以外は悪になって裁く対象になってしまうのでは。まず歩み寄って、お互い受容し合えば、変化があるのではないかな。

 

 

 心理学者フロイト博士の原因論に着目すると、人間にはその人の価値観を生み出した幼少期のトラウマがあると言われてます。行動や判断をする時には、過去のトラウマが影響する時もあるでしょう。子供の頃、親が怖くて、親の顔色ばかり見てたら、社会に出ても上司の顔色とか無意識に見ちゃうでしょう。

 

 

 他人は変えることはできないけれど、他人に対しての解釈は変えることができるのが人間の力だと思うんだけれど。

 

 一方向からの解釈だけだと、なんかおかしい方向に進まないかなって危惧した出来事でした。

 

 

 真実はメディアだけからではわからないし、仮にメディア通りだったとしても狭義に物事を捉えたら、人は人を裁いていくと思う。極端に言うと、裁かれるのは罪だけであって欲しい。それが終わりのない刑罰であったとしても。

 

 

 普段と違う角度の記事で失礼しました。平和ってなんだろう、って。なんてね。

 

 以上、戯言でした。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。