天命をまっとうすること
昭和後半産まれの私には「武士道とは・・」って聞くと、「死ぬことと見つけたり」とい言葉が頭に思い浮かびます。ちゃんと勉強したわけではなく、映画かゲームかアニメか覚えていませんが、当時流行っていた何かの刷り込みだと思います。
7月なのに力尽きた蝉が歩道におりました。儚さを感じました。
新渡戸稲造著「要約版 武士道」によると、武士にとって理想の戦とは刀を抜かずに勝利すること、とあります。武士にとっての理想の戦は平和という定義だそうです。主君の為に命を懸け闘い、敗れたら切腹をするといった、時代劇での浅い知識の自分には目から鱗でした。平和を望む気持ちは、武士道にも存在してるのだと。また、真のサムライは、いたずらに死を急ぐことや、死を恋こがれることは卑怯と同義、ともありました。無知の自分を恥じました。
現代においても、感じることがあり以下の句を引用します。
憂き事の なほこの上に 積れかし
限りある身の 力ためさん
「辛い重荷よ、いくらでも我が身に降りかかってみよ。私にどれだけの力が残っているか、試してみようではないか」の意。あらゆる困苦、逆境にも忍耐と高潔な心を持って立ち向かう。真の名誉とは、天の命ずるところをまっとうするにある。
戦国時代の武将、山中鹿之助幸盛の句と言われているそうです。
今の日本、苦しいことも辛いことも多々。そんな中だからこそ、自分を磨き他人の為に天命をまっとうする価値観が必要ではないかと感じました。苦しいのも辛いのも、同じような境遇の人はいて、自分だけではありません。そう思うと、他人の為に潔く生き抜く自分でありたく思いました。
日本の国を象徴する花がサクラだということも、武士道の潔さから来ているそうです。卑怯を否とし、名誉を良しとする。真のサムライの心を持ちたく思います。
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