道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

昭和プロレスの終焉

「俺が居なくなっても、プロレス業界は驀進します」*ネタバレあり

 2月21日武藤敬司引退試合、友人は会場に行っていたようですが、私はABEMAで観ることにしてました。*ネタバレあり、今日以降ABEMA観る方はご注意下さい。

 

 昨年お亡くなりになられた、アントニオ猪木さんが作った新日本プロレス。90年代、闘魂三銃士として、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也と共に活躍。UWF対抗戦、武藤対高田。全日本プロレスへの移籍、W-1の立ち上げ、Noahで引退試合。詳細まで書こうかと思ったのですが、一日じゃ終わる気がしなく、今の感動重視に記述しようと思います。

 

 私達の世代のプロレスファンには、武藤敬司の影響はとても強く、天才と呼ばれながらもスランプを抱えた90年代。そこから復活した時の名台詞が「武藤敬司は驀進します」でした。最後に「驀進」の単語を使ってくるあたりも、ファンの心理に気を配り続けてきた精神からと思います。

 

 とにかくどこの団体に、どこのリングに立っていても、「魅せる」プロレスだったと思います。ファンが今見たいと思った技を使ってくれる、派手な技から基本的な技まで、魅了してくれる、そんな武藤ワールドが確かに在ったと思います。

 

 最後、武藤敬司に憧れてプロレスラーになった内藤哲也と引退試合。試合中橋本真也の技や蝶野正洋の技も繰り出しました。武藤初期の必殺技のムーンサルトプレスは、二回繰り出そうとして、躊躇。膝の人工関節とファンの期待に応えようとした、精神の葛藤があったように思います。コーナーに登った時に医者と家族の怒る顔が見えた、と試合後インタビューで語ってました。

 

 引退試合は最終的に内藤の勝利になりましたが、内藤の瞳からも涙、放送席の棚橋弘至も号泣。試合後に、武藤はマイクパフォーマンスから蝶野正洋をリングに迎え、最後の引退試合。シャイニングケンカキック、からのSTFを受け蝶野の勝利。短い試合でしたが、武藤敬司のケジメだったと思います。

 デビュー試合の相手だった蝶野の技を受けて、幕を引きたいという武藤の心境が見えた気がします。技を受けることがもうできなくなる、最後に受けたい技を選び、蝶野が応える。

 武藤敬司らしい、魅せる引退試合だと思いました。

 

 ちなみに同興行で、東京愚連隊の名ルチャドーラーの野沢論外も引退試合を行いました。野沢も最後に相手の必殺技でかかってこいと挑発し、技を受けて試合に負けました。

 

 受けの美学。引退するともう技を受けることがなくなる、そんな哀愁があり、走馬灯のように歴史が流れ、これが自分の生き様よと、最後の技で悔いやなし。

 

 

 彼らの生き様はストーリーになり、ファンの心に生き続けることでしょう。

 

 

 お読み頂き、ありがとうございます。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村