道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

呼び方と信頼感

 相手の呼び方は信頼感の尺度みたいなものかと

 

 日本語、英語、様々な言語。言葉は違えども。外国語に精通しているわけではないので、間違いがあったら申し訳ありません。一人称、私、僕、自分。二人称、あなた、君、○○さん等々。三人称、彼、彼女、あの人、等々。この中の二人称について、ぼんやりと考えていました。

 

 

 誰かを呼ぶ時、意識している距離感があると思います。私は私、あなたはあなたなので、自分とは距離が在る訳ですが。呼び方によって、その距離感がわかることもあるのでないでしょうか。なんとなく、無意識に使い分けているような、そんな感じがします。呼び方にも個性があるので、必ずしもだと思いますが。私の場合、信頼できている人程、二人称もしくは三人称が雑になっていく気がしています。

 

 

 一番距離が近く信頼できるのは二人称で雑に話せる人。性別や上下関係は抜きにして、名前で呼び捨てとか、お前とか、あだ名とか。敬意のある人になってくると、さん付けしたり。少し距離があるとちゃん付したり。ビジネスのやり取りが絡むと、様付けしたり。距離が開く程、無意識に配慮して会話の言葉を選んでいる。二人称は雑になる程、会話の言葉は選ばない。あれ、それ、とか、あの時のあれ、で通じることが多いと感じる。最小限の言葉で通じることがあるから、雑になるのかも。

 

 

 三人称になると、より粗雑。あいつ、あの野郎、は信頼の証。あの人から先は、二人称と変わらず一定の距離がある。物差しとして、そこまで間違っていない感覚に思えるのだけれど。

 

 

 親しき中にも礼儀あり。

 

 

 雑な呼び方をしていても、礼節は守る。悪意ではなく、信頼や安心と誤解されないよう。そもそも誤解されるような関係であれば、雑にはならないが。言葉だけで表すと、語弊も招くような気がする。言葉に品はないかもしれないが、心を許せるからこそ言えるのよ。そんな呼び方を。

 

 あと、プライベートだから言える。パブリックだと言えない。業務中などは言えても控えるのが、マナーと思う。

 

 

 だからといって、それ以外の人を信頼していないわけではない。さん付けやちゃん付け、様付けの人にも信頼している人はいる。そう考えると、雑な呼び方は、安心感なのかもしれない。その人との間に、衝立が一枚程度の距離感。だから気をつけないと、一枚の板を取り外してしまいそうになる。そこは避ける。衝立があるから、思いやることができ、労われるのだと。忘れずに。

 

 

 そんなことを、ぼんやりと考えていました。自分の会話言葉を俯瞰すると、相手との関係性が見えてくるかもしれません。

 

 

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