道助の自分セラピー

自分の心の取説。自分セラピーの発信。日本メンタルヘルス協会講座での学びと所感の記録。

子供の頃を伝えて

両親へお礼を述べることができた

 

 先日、私の子供の時に「自立を演じている自分」「心配されないよう演じている自分」で時間を費やしてきており、その裏に「甘えたい自分」「心配されたい=かまって欲しい自分」が在るということに気づいたことを記しました。

 

 その後、用事があり実家に行くことがありました。一人暮らしになってから久しく食してなかった鍋、きりたんぽ鍋を用意して両親が待っていてくれました。

 

 食事をして、雰囲気が落ち着いた時に、私にとって望ましくない方へ導く自分が上記の演じている私の半面の自分だと気づいた旨、だいぶかかってしまいましたが、育ててくれた感謝の気持ちを述べることができました。

 

 その前日、弟と私が気づいたことについて話していたところ、一つの可能性と一つの知らなかった事実を聞きました。可能性は私達兄弟は父と母、両方の祖父と会ったことがなく、また父方の祖父は、父も育ててもらった経験がないということでした。恐らく父親像がなく、父親を精一杯演じているのではないか、ということでした。また、知らなかったこととしては、私が父から叱られている時に、弟は部屋で隠れていたということでした。

 

 まず、私には幼少期に叱られた記憶がまったくなかったので、衝撃的に思いました。恐らくその記憶を、記憶の奥深くへ押し込んでいたのだと思います。その為か、私は幼少期の記憶は他のことも含めて、部分的にしか覚えていません。友達の名前や顔すら思い出せない位です。

 

 そして、弟の憶測は的中しており、経験していたのではないかと疑う程でした。父から帰ってきた言葉は「俺も父親がいなかったから。自由に生きて欲しいと思って言った言葉が、自立させようと捉えられてしまって悪かったなぁ」とありました。心配されたくない「心配されたい、かまって欲しい自分」は以前、話をしていたのですが、「甘えたい自分」は今回、初めて話をしました。

 

 「育てえてくれて、ありがとう」そう言葉を発することができたのは、初めてだと思います。

 

 自分の中の「かまってちゃん」と「甘えん坊」へは長く任務をかけたけれど、役目は終わったから、これからはゆっくり見守っていて欲しい、そう自分の心へメッセージを出して、ようやく自立への一歩を踏めたかと感じました。

 

 少しは親孝行できたかな、そんな心境です。

 

 お読み頂き、ありがとうございます。